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磐田市へのビザ

こんにちは、事務員Tです。

 

コロナが流行してから、国同士の行き来が制限され

弊社もビザ取得のお仕事が思うように進まず

やきもきしている今日この頃です。

 

そんな中、私も行くことが出来なくて困っている地域があります。

磐田市です。

 

私は浜松市に住んでいますが、実家は隣の磐田市にあります。

両市を行き来するためには天竜川を渡る必要があるのですが

コロナが流行して以来

「天竜川を渡るべからず」と父親から命じられていました。

 

それから1年強

未だ父親から磐田へのビザが発行されず、

いつ実家に帰ることが出来るのだろう(ワクチン打ったのに……)

そんな切ない気持ちで過ごしていました。

 

そう、切なく過ごしていたんです。

父の誕生日までは。

 

私は父親から誕生日どころか年齢すら忘れ去られていますが

私は健気にも父の誕生日を覚えていてあげて

毎年プレゼントをあげていました。(本当は夫が準備していて私は渡しに行くだけ)

昨年はコロナでうやむやになっていましたが、今年はきちんと準備していました。

 

そして誕生日当日、メールでお祝いコメントを送ったついでに

「磐田へ行けないからプレゼントは渡せないね」と書き添えると

「天竜川渡っていいよ」と返信があり

あっさり磐田市へのビザが発行されました。

 

しかしいざ実家へ行き、玄関のチャイムを押すと

インターホン越しに「そこにプレゼント置いて帰って」と言われました。

私が磐田市の地を踏んだのは、車から降りて玄関までのわずか数歩でした。

 

そういえば

娘の顔を一目見たいだとか、プレゼントのお礼を直接言うだとか

そういう感情は一切ない父親だということを忘れていました。

1年以上会わないうちに、父との思い出が少し美化されていたようです。

そうそう、こういう父親でした。

 

この誕生日以降、磐田市へのビザが発行されない状態に戻り

相変わらず実家に帰れない日々が続いています。

 

ちなみに私の誕生日ですが

父親から何の音沙汰もないまま過ぎ去ったことをご報告いたします。

 

 

 

帰化申請について

こんにちは、事務員Tです。

 

現在帰化申請のお仕事をしています。

こちらの事務所ではしばしば帰化の相談を受けます。

今までもブラジル、中国、韓国の方の帰化のお手伝いをして参りました。

 

仕事をしつつ、ふと、自分の回りに帰化申請を希望する人はいるかなと考えました。

一人いました。父です。

 

以前「風変わりな父」というタイトルで、私の父親の話を書いたのですが ⇒ コチラ

ここに書いた父の風変わりさは氷山の一角であり

異様なエピソードは他にも山ほどあります。

そんな父のあだ名は「宇宙人」です。

あだ名というより事実で、きっと絶対宇宙人です。

 

そんな父を宇宙人から地球人として帰化させたい!

それが私(及び親族)の願いです。

 

もし地球人に帰化することが出来たなら

1,人に興味をもつ

2,喜怒哀楽が表現できる

3,会話のキャッチボールが可能

 

父に欠けている上記3点の事が出来るようになるのではないでしょうか。

これが出来たら感動です。親族一同歓喜の涙を流すでしょう。

 

ただ問題はどこに帰化申請をすればいいのかわかりません。

 

もしどなたか、宇宙人の帰化申請先をご存知でしたら教えてください。

よろしくお願いします。

 

職業について

こんにちは、事務員Tです。

 

子供の友達(小学生)に「お仕事なにしてるの?」と聞かれることが結構あります。

色々な仕事をしていましたが、行政書士というお仕事を説明するのは特に難しいので

「忍者」

と、いつも答えていました。(正式には“くのいち”でしょうか)

 

低学年の頃はみんな「本当!?」と驚いてくれたのですが

中学年になると「嘘だ~」と言われ

高学年になった今「まだ忍者やってるの?」と冗談まじりで聞かれるようになりました。

 

私のくだらない冗談に、最初はとまどっていた我が子も

今ではすっかり慣れてしまったようで

友達から「お母さん本当は何のお仕事をしているの?」と聞かれると

「忍者だよ、昨日も手裏剣の練習してた」と答えるようになりました。

 

そろそろ真面目に行政書士のお仕事について説明しようかと思うのですが

忍者という設定も捨てがたいので

これからは「行政書士のお手伝いをする忍者」でいこうかと考えています。

 

風変わりな父

こんにちは、事務員Tです。

 

我が浜松国際行政書士法人では、外国の方のビザ申請業務が多いです。

その際に様々な国の習慣、ものの見方など学ぶことが多くて楽しいです。

また、考え方の違いに驚くことも多く・・・と言いたいところですが

日本人である我が父がとても個性的なので、驚くことには結構慣れています。

 

そこで父の驚きの言動を箇条書きしていきたいと思います。

1、覚えない

父は私と妹の誕生日を何度言っても覚えてくれません。

そして年齢もしっかり覚えていないため、私が高校1年生のときに

「今年高校受験か?」と聞いてきてビックリしたことを覚えています。

 

2、しゃべらない

驚くほど無口な父

無口といっても並大抵の無口ではなく

私が今まで父と会話した合計時間は1時間あるかどうかというくらいです。

以前、小学生の娘と父で5時間ほど留守番をしてもらったことがあるのですが

娘に「おじいちゃんと会話した?」と聞いたら

「雨ふってるのかな」って言ってた。と答えました。

5時間あって会話はそれだけだったそうですが

会話というよりそれは独り言だったんじゃないかと疑っています。

 

 

3、気付かない

ピアスは嫌いと呟いていた父。(耳に穴をあけるのが信じられない様子)

しかし当時二十歳の私はピアスをしたかったので母に相談しました。

すると母は「父は絶対に気付かないから大丈夫」と言ったのでピアスデビューをしました。

最初は小さなピアスをして様子を見ていたのですが

あまりにも気づかないので、少しずつ大きいピアスに変えていき

最後は握りこぶし大のフープピアスをつけて話しかけてみたのですが

それでも全く気付きませんでした。

結論:母の言葉は正しかったです。

 

こんな父なので幼少時代に遊んでもらった思い出はありませんが

妹と一緒に父で遊んだ記憶はあります。

 

昼寝をしている父の顔にお化粧をしたり

クリスマスツリーの飾りとライトを身体につけて点灯させてみたり

台所で何かを作っている父のズボンにぬいぐるみを挟んだり等々

父はこんな事をされても、私と妹がその姿に笑い転げても、ただただ無言で無表情でした。

 

また無口な上に愛想が全く無いせいで

娘は3歳まで父を見ては怯えて泣いていましたが

昔のように昼寝をしている父にお化粧をし

おもちゃのティアラとイヤリングをつけてみせたら何とか懐きました。

 

お父さん、衣食住を確保と、おもちゃになってくれてありがとう。

とりあえずそんな風に感謝しておこうと思う今日この頃です。

 

家庭菜園

こんにちは、事務員Tです。

 

この夏子供が庭でキューリを栽培しています。

私はサボテンすら枯らす人間ですが、子供は頑張って育てています。

 

先日姪(幼稚園児)と電話で話したとき

姪「今ねー、バジル育ててるのー、名前はね「バジル姫」にしたのー」

私「そっかー、うちもキューリ育ててるよ、名前はね「キューリ太郎」」

 

キューリ太郎という名はその場の思い付きでしたが、結構気に入ったので採用しました。

キューリ太郎が収穫できた後はキューリ次郎、キューリ三郎・・・と名前を付け、現在はキューリ五郎まで育ちました。

今まで植物に興味がなかったのですが、不思議なもので名前をつけると愛着がわいてきました。

 

そんな私ですがいつか犬を飼いたいという野望を持っています(家族に反対されて未だ実現ならず)。

夢が叶ったらワンちゃんの名前は「社長」にしようと決めています。

 

「社長、ご飯です」

「社長、お散歩にいきましょう」

 

ああ、想像するだけで楽しいです。

ワンちゃんと楽しくお散歩をする人を見ながら、自分もいつか仲間入りできる日を夢見ています。

 

ところで、行政書士協会のマスコットキャラクターをご存じでしょうか?

「行政」と書いて「ユキマサ」という名のかわいい猫です。

ホームページには結構こだわりのあるユキマサくんの設定が諸々書いてあり、読んでみると楽しいです。

法律のお悩み相談「解決!ユキマサくん」もあるので、興味のある方はぜひ下記URLをクリックしてみてくだい!

 

 

 

 

 

 

https://www.gyosei.or.jp/yukimasa/

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